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日本の献体四十年

 事業名 篤志献体の普及啓蒙
 団体名 日本篤志献体協会 注目度注目度5


弘前大学白菊会の発足とその運動について

 

弘前大学白菊会

 

弘前大学白菊会の発足は昭和41年11月9日。河西達夫教授を初代理事長として、21名の会員をもって発足致しました。
「献体ということを初めて知ったのは確か名古屋大学での事務長会議の時だった。別室で何かの講演があるということで、その時の話が献体ということであったと記憶する。勿論その時の解剖学会に河西教授も出席しておられた筈(河西教授のご記憶では同37年)。会議から帰って、河西教授を中心に弘前大学でも献体者の組織を作ることになったが、教授は東京の本部から献体の趣意書とか、申込書、規約などを取寄せて色々苦心されたようだ。大学としては別にPRはしなかった。」
私は本会の弘大しらぎくの編集作成を河西教授からご承認いただいて専心努力して参りましたが、その第11号において、弘前大学白菊会発足についての特集を企画して河西教授に指示を請うたところ、別に資料は無いとのことでした。当時は発足時の会員21名のうち生存者はすでに数名となっておりましたので、その全部の方々を直接訪問して発足時の状況を聞き「特集」として編集しました。
冒頭に掲げたのは当時の医学部事務長大高武正氏のお話です。
当時既に入手していた白菊会本部の「しらぎく」には河西教授との交流の記録があり、○東大医学部を通じ河西教授に資料贈呈(40年6月9日。)○河西教授より弘前大学白菊会と正式に決定した旨通知あり(41年9月16日。)○同白菊会発足に際し祝詞を送る(41年10月6日。)大高事務長談話を裏書きしています。30年9月、白菊会本部が発足してから本邦献体運動は燎原の火の如くに広がりました。河西教授はそのご教務ご多忙のかたわら、おひとりで弘前大学白菊会発足にむけて想を練ってこられたのは、時代の趨勢をみつめた洞察力と先見性として敬服致します。
そして53年7月9日、郡司乕雄先生が来弘され、会としての組織づくり、その運動のすすめ方についてのご指導があり、この日から会員同志の運動の展開となったのでした。
その運動のすすめ方については特にマスコミの利用を指導され機会を得ては県内3紙に献体啓蒙の投書をして、その殆んどを掲載してもらいましたが、これが県内に大きな反応をみせました。この頃、弘前青年会議所主催の歩行者天国に献体運動PRとして数年間出向しているさ中に、地元出身の竹内黎一代議士も立寄り励まして下さいました。丁度この頃、全連の献体法制化の問題が焦点となっていて、57年の岐阜大学における全連第12回総会の折、地元出身代議士に陳情すべしとの指令により、河西教授と三浦前理事長が竹内代議士に陳情したところ、早速それを取上げて下さり、国会内で竹内代議士自らが委員長となって献体法制定小委員会を発足せしめ、58年5月18日、同法成立となったことは地元として誇りとするところであります。

 

 

 

 

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