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日本の献体四十年

 事業名 篤志献体の普及啓蒙
 団体名 日本篤志献体協会 注目度注目度5


三重大学医学部と三重不老会

 

三重大学医学部

 

三重不老会は、1964(昭和39)年5月、三重県在住の不老会(名古屋)会員により、不老会三重支部として結成された。
翌1965(昭和40)年10月に、当時の三重県立大学医学部解剖学第一講座教授として瀧本保が着任した。瀧本によれば、「当時の医学部の一学年は五十名の定員であったが、遺体数不足のために学生四人ないし六人に一体の割合でどうにか解剖実習を切りぬけていた。その上、年によって遺体数の変動もはげしく、毎年のことながら解剖実習については気持ちの落着かない状態であった」という。
不老会三重支部結成以前から、遺体収集のための解剖学教室員の負担には多大なものがあった。瀧本は、着任後、三重県内や近隣の県の施設や病院を精力的に訪問し、献体への協力を訴えた。「最初の二〜三年は大学の協力を受けられず、全く個人的な形として見えたことであろう」「そのうち大学も自動車を廻してくれることになり、学生の父兄会からの援助も加わり、また医学部事務職員の協力も得られるなど、その間数年はかかったと思う」と瀧本は述べている。
1970年代前半には、年間収集遺体のうち20〜30%を不老会会員が占めるようになった。1975(昭和50)年2月には、三重不老会から、会員又は賛助会員としての入会を呼び掛ける“趣意書”が出され、教授会でも遺体収集問題に取り組んで行くことが協議された。1976(昭和51)年11月には、三重不老会の支援を主な目的として「三重不老会協力会」が結成され、多くの医療関係者の拠金があった。
なお1983(昭和58)年に、不老会三重支部は「三重不老会」として独立した。
解剖体慰霊式は、三重県立医科大学当時の1948(昭和23)年5月に、大学に隣接する寺院で初めて行われ、1957(昭和32)年以後は高田本山専修寺で行われてきた。国立に移管した後、1977(昭和52)年以後は医学部自身が無宗教の形式によって式を行うようになった。遺族への遺骨の返還は、基本的には慰霊式の終了後に別室で行っている。慰霊式は、本学臨床講義棟の講義室を会場として行われてきたが、手狭であり、入場可能人数に限りがあった。1996(平成8)年からは、前年に新設された講堂の大ホールで行われるようになり、この問題が解決した。
ここ数年は、年間収集遺体のうち三重不老会会員が80%前後を占めており、現在のところ学生2人に1体の割合で実習を行っている。ここに至るまでには、多くの先達が乗り越えてきたさまざまな困難があった。その恩義に応える最大の方法は、学生がよりよい環境のもとで意欲的に解剖学実習に取り組めるように指導することであると確信している。
(解剖学第二講座 助手 佐藤利夫)

 

参考文献
「ヒポクラテスの樹 瀧本保先生退官記念文集」
瀧本保先生退官記念事業会、1987年。
「三重大学医学部五十年史」医学部創立50周年記念事業委員会、1995年。

 

 

 

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