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日本の献体四十年

 事業名 篤志献体の普及啓蒙
 団体名 日本篤志献体協会 注目度注目度5


神戸大学のじぎく会の20年

 

神戸大学のじぎく会

 

@ のじぎく会の誕生

 

昭和50(1975)年6月、篤志献体の理解者151名によってのじぎく会が誕生した。会長は大畑忠太郎、副会長は人位秀男、武田創教授も第139号会員となられ、会名は兵庫県花の名を採ってのじぎく会とした。かくして遺体寄贈の同志確保運動が開始されたが、初代会長は翌年6月に成願され、人位秀男が第2代会長になった。

 

A 人位会長時代のこと

 

人位会長は先進の会に学ぶことを重要とし、東京の白菊会や近隣大学との連絡を密にした。人位は交通費その他自弁主義で活動し、その熱意が献身的な奉仕活動として会員勧誘が進み、結成当時151名の会員が5年で約800名となり、10年で約2,000名近くになった。このように会員増を大目標とした人位は昭和60(1985)年名誉会長となり、豊田が第3代会長になった。人位は昭和63(1988)年成願した。遺骨は立派な骨格標本となって本人の希望どおり神戸大学に保存されている。

 

B のじぎく会中期の苦難

 

昭和55(1980)年武田教授定年退官、山鳥崇教授着任、当時は年間登録者数150名程度で、学生一人あたりの解剖体数が充分でなかった。より一層の活動を望まれた山鳥教授が医学部同窓会である神緑会に必要経費の援助を懇請され、昭和59年度より援助金が受けられることになった。そのお蔭でより活発な運動ができることになり、順調に会員数を増やすようになった。しかしこのような時に意外な問題が持ち上がってきた。新設医大が多く出来たり、出生率が低下したことなどから、医師過剰が叫ばれ出したのである。神戸大学は医学部学生定員が120名から100名に削減されることになった。会員の増加は成願者の増となり、学生定員の減少は解剖体の必要数の減となる。のじぎく会は大苦難に直面した。平成元年(1989)のことである。

 

C 篤志解剖全国連合会への問題提起

 

のじぎく会は第18回全連総会で「成願者数が大学の必要とする数を超過した場合、どう対処すべきか」の問題を提起した。そして地域的連絡組織をつくり過不足を融通し合う方向へ研究を進めていくことが望ましいとの助言を得た。翌年第19回総会の後、近畿地区で懇話会第1回が京都大学で開催されたが、講演と大学見学だけで問題解決に何ら前進もなく、第2回は神戸大学で平成2年8月に開催され、座談会形式をとり4時間にわたって意見の交換が行われたがこの問題解決には全然いたらなかった。第3回は大阪市大みおつくし会だったが過剰遺体を融通し合う件は見込みなしとの結論になり、神戸大学では年間登録者数を200名に限定し、それ以後の加入希望者は次年度までお待ち頂くことになって現在に至っている。のじぎく会では現会員が健康に留意し成願を急がれないよう声を大にして呼びかけている。

 

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更新日: 2020年2月22日

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