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日本の献体四十年

 事業名 篤志献体の普及啓蒙
 団体名 日本篤志献体協会 注目度注目度5


広島大学白菊会の献体38年

 

広島大学白菊会

 

広島大学白菊会は、昭和33年、当時の医学部解剖学第一講座澤野十藏教授の呼びかけと、これに応えられた渡辺泰邦初代会長の尽力により発足した。渡辺氏は、氏の祖父で蘭医であった玄丹氏の俳句「掛茶屋の柱にもなる桜哉」の精神を受け継いで、社会福祉の増進に努められた方である。桜は生きている間は花を愛でられ、また木材となってはその堅さ、色艶が珍重されるが、時に掛茶屋の支えにもなる。献体は日本の象徴的な花である桜のありかたに符号する人間の行為であると、渡辺氏は考えられたのである。
昭和33年度までの受入れ遺体数は年間十数体程度であったが、本会の設立を契機に、昭和34年度の遺体受入れは32体と倍増した。その後、学園紛争の影響を受けた昭和40年代半ばに一時遺体数が激減したが、やがてこれも回復し、現在では年間70体程度が受け入れられている。
本会発足当初は会員数の増加はゆるやかであったが、澤野教授はじめ教職員、白菊会会員の啓蒙活動により、昭和50年代初頭には500名を超えるようになった。しかし、昭和40年の歯学部創設、その後の医学部学生定員の急増により、遺体不足は続いていた。
昭和52年、当時の理事長であった寺地操氏は、会員倍増運動を主唱され、この年に着任した安田峯生教授とともに、種々の啓蒙活動を展開された。新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミも積極的に利用され、各地での講演会、施設訪問も数多く行われた。これらの努力の結果、昭和56年に登録会員数は1,000名に達した。その後の会員増加は著しく、昭和62年に2,000名、平成4年に3,000名を超え、平成8年には4,000名近くとなっている。
会員倍増運動開始当時、寺地理事長が心されたのは、白菊会員への勧誘が利をもって釣ることにならないように、とのことであった。何か見返りを期待して白菊会に入るのは、無償の善意による献体という白菊会本来の精神を汚すものと考えられたのである。この方針は寺地氏の後継者である片山英憲前理事長(昭和60年就任)、景山勝義現理事長(平成3年就任)により堅持されている。
昭和57年にはキャンパス内にピラミッド型の献体慰霊碑が建立された。その前面には「医の礎にと献体された方々のために」の文字が刻まれている。また、昭和58年に体育館が完成したのを機会に、それまで学外で仏式で行われていた献体者慰霊祭は、これを会場として、特定の宗教によらないものに改められた。献体者慰霊祭は毎年10月の第4水曜日の午後に行われるが、それに先だって午前中に白菊会の総会が開かれるのが恒例である。白菊会総会ではその年に解剖実習を行う医学部学生が受付、案内、湯茶の接待などを担当し、会員への感謝の気持ちを表している。

 

 

 

 

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