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バタフライに関する調査研究報告書

 事業名 水泳の普及振興
 団体名 日本水泳連盟 注目度注目度5


[付録]バタフライの軌跡−日本バタフライ選手名鑑−

 

(財)日本水泳連盟医・科学委員会・科学技術部,京都工芸繊維大学 助教授  野村 照夫

(財)日本水泳連盟医・科学委員会・科学技術部,防衛大学校 講師  奥野 景介

’97水泳医・科学シンポジウム 座長・富山県水泳連盟  中川 泉

(第10回アジア大会200m優勝,マドリード世界選手権200m9位)

 

バタフライは平泳ぎの中から生まれ、独立し現在に至っている。歴史に残る名選手は数多く,そのはばたきの軌跡を日本記録保持者を中心に追った(文中「日」は日本記録を表わす)。先人の苦労,工夫から新たな視点が生まれることを期待する。

 

男子

●佐東元吉:1928生まれ,立命大,100m平泳ぎで前半はバタフライ式平泳ぎ,後半をオーソドックス平泳ぎで1947年日本選手権を制した。葉室鉄夫氏から腕の強いものはバタフライ平泳ぎの方がよいとアドバイスされた。腕が上がらなくなる80m付近までバタフライでレースを行なったと佐東氏は語った。前半を32.0で折り返せるスピードは,オーソドックス平泳ぎの日本記録の折り返しを凌ぐものであった。バタフライ平泳ぎを試みる選手は他にもいたが,佐東氏が日本選手権を獲得したことで,バタフライが急速に広まった。したがって,この時期は,バタフライの黎明期と言える。1948年のロンドン五輪では,平泳ぎの決勝進出者は全てバタフライ平泳ぎを用いていた。

 

●萩原孝男:日大,日100m=1-12.0(1950),200m=2-38.4(1950)。

●清水敏夫:慶大,日100m=1-11.0(1950)。

●宇田久寿秀:日大,日100m=1-10.8(1950)。

1950年の日米対抗をかえりみた座談会で,小池二氏は,「萩原氏は力の泳ぎ,清水氏は技巧的な泳ぎ」と評した。また,高石勝男氏は「バタフライは飛び上がりを少なくするように肩を柔らかくする体操が必要である」と提言し,松澤一鶴氏は,「フリースタイルのような(からだの真下をかく)バタフライが出てきてもいいんじゃないか」と平泳ぎの中で行われていたバタフライの進むべき方向性を示した。(水泳1951.89より)

1950年には平泳ぎのレースにバタフライ平泳ぎが混在していたが,一つのレースで両泳法を混用することはできなかった。この年,宇田氏は日本選手権で200m平泳ぎ予選150m折り返し瞬前,水中の一掻きにバタフライ転換し失格し,優勝及び日米水上対抗出場の機会を失った。しかし,学生選手権では100mバタフライ平泳ぎで1.10.8の日本記録を作った。勝ったときより破れたときにファイトを持って屈することなく,奮起し,次の競技こそはと思うことが大切であると語った。(水泳1954.101/102より)

 

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更新日: 2020年9月19日

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