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自然と文化 71号

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本ナショナルトラスト  


中国 大興安嶺の狩猟民族の樺樹皮文化・・・蘇日台 翻訳・岡田陽一
◎中国北方の緑の王国◎
 ほら、この烈馬、ほら、この槍
 (しょうほう)(ノロジカ)、野鹿の声、山に森に満ち、鳴きやまず
 このオロチョンの民謡を読むと、古色蒼然とした、神秘な大興安嶺のはるかな樹海がおのずと思い出される。峨々たる大興安嶺、流れ逆巻く黒竜江は、中国北方大地のもっとも壮麗な景観であり、勇猛剛健な狩猟民族をはぐくんでいる。
 
中国東北部図
 
 大興安嶺は、北は黒竜江から、南へ内蒙古の呼倫貝爾盟(ホロンバイル)の中部を貫き、まっすぐに興安盟の科爾沁(ホールチン)右翼前旗北部の伊爾施(イーアルシー)地区までのびること延々千里。平均高度は海抜一〇〇〇メートル前後、主峰はさらに二〇〇〇メートル以上に達する、蒙古高原東部の有名な天然の障壁である。大興安嶺は、西は美しいホロンバイル草原が横たわり、東は黒竜江省の広大な松嫩(ソンノン)平原と接する。大興安嶺は中国で唯一の寒帯と温帯区域にまたがる山脈で、面積は約二二万平方キロメートル、世に名高い北国の樹海であり雪源である。年平均気温は零度前後しかなく、植物の生長期は比較的短く、わずか四ヵ月ほどである。年間降水量は比較的十分足りている。各種の野生植物は三千余種にのぼり、密に繁茂し、落葉松を主として、杉、櫟(くぬぎ)、白樺、黒樺、楡、楊(はこやなぎ)、柳、障子松などもあり、大興安嶺の原始林帯を構成する、中国北方の緑の王国である。
 
左からオロチョン族、ダフール族、エベンキ族
 
 大興安嶺は景観優美な独特の自然環境であり、野生動物の生長にはとくに恵まれた条件を備えた棲息地である。野生動物にはマンシュウアカジカ〈アカシカとも〉、ヘラジカ〈オオジカ、オロチョン族の間ではハンダハンとも〉、キバノロジカ、ノロジカ、オオヤマネコ、ムラサキテン、イノシシ、グズリ、カワウソ、オカウソ、クロクマ、ギンギツネ、アカギツネ、ユキウサギ、ノウサギ、チンチラ、ドブネズミ、キジ、カモ、ハクチョウ、サカツラガン、ライチョウなどがいる。
 大興安嶺の豊かな自然資源は、古代の北方民族の生存と発展にめぐまれた自然条件を提供していた。一九八〇年六月、大興安嶺の西、海拉爾(ハイラル)河流域の扎賚諾爾(ザーライノール)の旧石器時代遺址を発掘中に、チョッパーやスクレイパーなど五十余件の大きくて粗いつくりの打製石器が出土し、二万〜三万年前、大興安嶺および周辺地区には北方民族の祖先の開拓した足跡があったことを十分に証明した。代を重ねた「ザーライノール人」は、一万年前にはこの肥沃な土地に労働生活を始めた。まさにかれらが働く手と聡明な才知によって、北方民族の先史文明の第一頁を開いたのである。
 古代北方民族の東胡((1))、匈奴、鮮卑(せんぴ)、回鶻(かいこつ)((2))室韋(しつい)((3))、高車(こうしゃ)((4))、契丹(きったん)、女真、蒙古などは、いずれも大興安嶺の懐において、かれらの民族の歴史の幼年期を過ごしたのであるから、大興安嶺は北方民族の文化の揺りかごといえる。
 エベンキ、オロチョン、ダフールなどの少数民族は、今日もなお大興安嶺の山腹やその周辺地区に居住している。かれらは歴史上はいずれも原始狩猟時代を経ており、いまでも一部の部族は狩猟に従事しているので、「北方狩猟民族」とも称されている。かれらは長い歴史の発展過程で、中国の北部辺境を開発、防衛し、また北方森林民族特有の「狩猟民族文化」を継承、発展させてきた。
 
◎大興安嶺樺樹皮文化史話◎
 人類が原始時代に火の価値を発見した後、火が原始人類の進歩と発展に重要な役割をしたことは誰もが知っている。そのなかで原始の陶製の器物(具)の発明と創造は、火の発見や使用と密接な関係にあり、人類がすでに文明の歴史の前夜に入った事を示している。したがって陶器の出現と火の発見は、人類社会の発展史において、共通の特徴をもつ重要な文化現象である。
 調査の結果、いまなお中国の北方に居住し、狩猟生産に従事するエベンキ、オロチョン、ダフールなどの民族の歴史と社会生活において、かれらが陶器をつくった工芸的痕跡はまだ発見されていない。これは中国の民族学では比較的特殊な現象である。それではかれらは原始狩猟時代に、どんな器物を使って食物を煮て食用としたのだろうか。この問題については、民族学の調査結果がすでに明確に答えている。オロチョン族とエベンキ族は原始狩猟時代に、二種類の炊具を発明していた。一つはマンシュウアカジカやヘラジカなどの大型動物をとった後、動物の胃を切り取り、刃物で表面に長い口を切り開いて動物の胃のなかの残留食物を取り出し、さらに胃の内壁を返して、真水できれいに洗い、もとに返した後、胃の両端を皮ひもで焚き火の両側に立てた木の棒に結びつけ、そうして切り開いた長い口から肉塊と水を入れ、焚き火の上であぶり焼く。このように調理して食べる狩人は、常に火力の調節に注意しなければならない。とろ火にしないと、あぶった面積は均等にはならない。必要があれば、動物の胃の表面や底部に水を少し撒き散らして、焼け焦げて破裂するのを防ぐ。胃のなかの水が煮立ったときに、胃のなかの肉も煮えている((5))。肉を煮て食べる二つ目の方法は、白樺の樹皮で桶をつくり、水と肉塊を桶に入れて、さらに赤く焼いた小石を入れる。これを数十回くり返して、桶の水が煮立てば、獣肉も煮えている。この種の煮て食べる方法は、まさに文献に記すとおりである。「東北の諸部には、釜、甑(こしき)、罌(かめ)の部類に属するものがなく、物を煮るには木を刳り水を貯め、小石を真っ赤に焼いて水のなかに入れ、数十回煮てこれを食べる」(方式済『龍沙紀略』)とある。旧石器時代の中期や晩期には、食物を調理するこうした原始的方法は、おそらく人類が食物を加工する普遍的方法の一つであった。
 
 
 中国の北方狩猟民族の原始狩猟時代には、樺樹皮を原材料にしてつくった器物は、かれらの民族にあってはおそらく特殊な地位をもっていた。それゆえわれわれは樺樹皮でつくった器物の特殊な文化現象を「樺樹皮文化」とよぶ。
 
大興安嶺山の美しい白樺樹林
 
 樺樹皮文化はけっして中国の北方狩猟民族だけがもつ文化様式ではなく、世界的に地域の特徴的な古い文化様式である。たとえば、ロシアのシベリア地区、モンゴル共和国内の各民族、ヨーロッパ北部のスカンジナビア半島以東の各民族、および北米のカナダやアメリカのインディアンは、いずれも類似ないしはたがいに近似する樺樹皮文化をもっていた。北半球の寒帯や寒温帯の白樺の樹が生長する広大な自然区域に、樺樹皮の材料で器皿をつくる文化帯が形成された、ということがいえる。われわれはこの文化帯を「亜北極圏樺樹皮文化帯」とよぶ。中国北方の各狩猟民族が共通に創造した樺樹皮文化は、亜北極圏樺樹皮文化帯のなかの一小区域であるというべきである。現在、われわれが承知している資料からみると、大興安嶺の樺樹皮文化は様式が比較的に整った、内容も豊富な小文化区域である。
 中国北方の樺樹皮文化は、現在までの考古学の発掘の実証によると、少なくとも三千余年の歴史がある。したがって樺樹皮文化は、はるかな歴史をもった古文化史上の特殊にして狩猟民族の原始的特徴をもった文化である、と考える。
 一九六三年、黒竜江省文物考古工作隊が、黒竜江省の鏡泊湖南端の鶯歌嶺の原始遺址を発掘中に、一号住居から出土した一件の樺樹皮器物は、測定によると約三千年前のものであった。一九七五年、この工作隊はまた黒竜江省肇源県白金宝の原始遺址((6))を発掘中に「樺樹皮器皿を模した小陶罐」(高さ約一一センチメートル)一件を発見した。その形は筒状で、小口の杯にも似ており、器体は直線の壁で、上部の口縁はやや外側に開き、器底部には器体よりやや大きい丈の短い圏足をもつ。器体の外壁には樺樹皮の器物を模して、向かい合せの直線や樺樹皮を縫合した針目文の装飾があり、測定によるとおよその年代は、これも三千年前であった。
 一九五九年から六〇年にかけて、内蒙古自治区ホロンバイル盟ザーライノール地区の木図那雅(ムートーナヤ)河東岸斜面で、内蒙古文物考古工作隊は鮮卑族の古墓群(註(7))を発掘し、合計二十余件の樺樹皮の器物の蓋を発見した。いずれも二枚の樺樹皮を一つに合わせて円片をつくり、その縁を針で一周り縫い合わせてあった。大部分の縫合糸はすでに朽ちていたが、縫合した針穴の痕跡は非常にはっきりしていた。一般に円形の器物の蓋の直径は、一〇〜一四センチメートルの間であり、厚さは約〇・三五センチメートル前後である。樺樹皮の器物の蓋の多くは、墓穴中の被葬者の頭骨両側の陶罐と陶壼の付近から出土した。この墓群からはまた、樺樹皮の盒が合計一四件出土したが、大部分は破損していた。製作の特徴からみると、樺樹皮の盒の器体は一枚の樺樹皮を巻いて筒状とし、別に針と糸で縫い合わせてつくった円形の底と蓋とがつく。比較的大きな盒は高さ約八センチメートル、直径一七センチメートルであった。同時に樺樹皮の弓袋も一件も出土したが、これも樺樹皮を巻いて扁筒状とし、その両端の接合部は針と糸で縫い合わせ、なかに樺の木弓を収める。内蒙古文物考古工作隊の推測によると、中原地区の後漢末(ほぼ紀元一世紀)に相当する鮮卑族の樺樹皮文化の遺物と考えられている。
 
樺樹皮器皿を模した小陶罐(黒竜江省肇源県白金宝遺跡出土)
 
 一九七三年、黒竜江省文物考古工作隊は、黒竜江省緩浜県中興郷で、金代の古城址と金代の古墓群を発掘した。そのなかの七号墓から、捺染と剪花で装飾した樺樹皮桶一件が発見された。これは幾何形の「》》××」の二方連続文様であり、おそらくは金代早期の女真族に特有の樺樹皮器物の一つである。
 一九七六年、内蒙古のホロンバイル盟境内のエベンキ族自治区旗の伊敏媒電聯合公司開発中に、契丹族の早期の古墓一基を整理し、墓から長さ約七〇センチメートル、幅一五センチメートルの長方形の樺樹皮の箙一件が発見された。無地でなんらの文様、装飾もなく、箙の一部に損壊ヵ所があり、縫合糸もすでになくなっていたが、縫合してのこされた針穴は見ることができた。整理した人の推測では、年代は紀元七世紀前後で、契丹族の早期の遺物である。
 目下の考古学発掘から見ると、中国北方地区の歴史にのこされた樺樹皮の器物(出土した樺樹皮器物の残欠も含む)は、数は多くなく、内容も十分豊富ではないが、それらは中国北方の大興安嶺と小興安嶺一帯に、すでに三千年前の原始狩猟時代において、地域の自然の特徴を備えた樺樹皮文化が創造され、かつ延々今日まで発展して、その民族の風格が世に知られるまでになったことを、十分有力に実証している。まさに歴史の長い古文化の一つといえる。







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