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自然と文化 71号

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本ナショナルトラスト  


[連載]厦門 福建省の建築・都市文化(3)住居と人々の暮らし・・・恩田重直
◎アヘンと妾◎
 アヘン戦争の舞台ともなった厦門。当時、この地にはアヘンがはびこっていた。アヘン戦争の直前、道光十九年(一八三九)に刻印された『厦門志』には、アヘンに関する記述も多い。アヘン売買に対しての罰則、アヘン吸引の害などなど。さらに悪習慣として、賭博が旺盛なこと、巷には妓楼があふれていることなども書かれている。交易都市として栄えた厦門には、一撰千金をつかむものもいれば、甘い誘惑に身を滅ぼすものもいた。
 
写真(1)住居の壁にはめこまれた石碑・・・厦門および周辺の都市で、このような石碑がいくつかみられた。
 
 住居の中庭に面した壁の一角に、石碑がはめ込まれている。そこにはこう刻まれる。写真(1)
×××公公業 不得私相授受(ここは、×××公の財産である。勝手に売ったりしないこと。)
 これは将来、この不動産を継承することになるであろう子孫たちへの警告である。アヘンや賭博などで一族の財産を破産させないようにとの願いが込められているはずだ。住居を新築した人の思いが伝わってくる。
 ちなみにこの住居、一九四九年の新中国成立以降も私有家屋として、子孫によって守り続けられてきた。しかし、祖先が祀られていた空間である祖堂は、文化大革命期に破壊され、そのまま放置されていた。ところどころに残る、往時のきらびやかな姿が偲ばれる彫刻や金の塗料には破壊の爪痕が刻まれていた。ところが、一九九九年に都市開発のために跡形もなく消え去った。
 一方、厦門には妾を囲っているものも多かった。『厦門志』には、「貿易に従事するものや一儲けしたものは妾をとる」とある。フィールド調査で住人から聞き取り調査をして驚いたのは、妾の血を分けた人たちが多く暮らしていることだ。
 こうしたことが住人から聞き取りできるのは、厦門ではもともとの住人が今なお住んでいるからである。今日、中国では従来からの住人を探すのが難しい都市も多い。それは、新中国成立以降の政策による。いわゆる厦門っ子が、現在でも先祖代々の住居に住んでいるのは厦門の魅力の一つでもある。
 今回は、厦門の住居を取り上げようと思う。そして、そこでの人々の暮らしに迫りたい。
 
◎住居の空間構成◎
 厦門の伝統的な住居には、二つのタイプがみられる。一つは、中国に普遍的に存在する四つの棟で中庭を囲む四合院(しごういん)と呼ばれるものである。もう一つは、間口が狭く奥行の長い街屋である。
 四合院は一つから複数の中庭で構成される。明確な中軸線をもち、中庭は中軸線上に整然と並ぶ。中に足を踏み入れると、全体が一望できるわけではなく、次々と中庭が展開する奥性をもった空間構成である。歴代の皇帝が住んだ北京の紫禁城もまた、こうした空間構成になっている。四合院は住居に限らず、宮廷や宗教施設など幅広く用いられた建築形式なのである。写真(2)
 一方、街屋は間口が一間から二間(間とは間口方向の柱間数を指す)で後方に展開する住居である。街屋も中庭をもつが、間口が狭いため、四つの棟で中庭が囲まれることはない。写真(3)
 これらの四合院や街屋によって、都市が構成される。計画的な街割のなされた北京では、東西に長い街区に南面して整然と四合院が並ぶ。そして、街屋は街区の両端に南北街路に面して並び、商業地を形成する傾向がみられる。図(1)また、清代に中国で唯一、西洋諸国に開かれた開港場であった広州では、むしろ四合院は少なく、商業地、居住地に関わらず大部分を間口がきわめて狭い街屋が占めた。四合院の多くが専用住居であるのに対して、街屋は商業地などの土地の有効利用が求められた場所で展開した住居形式であるといえる。
 さて、厦門ではどのようになっていたのだろうか。厦門は地形の起伏に富んだ都市である。街路も整然と区画されているわけではない。こんな厦門では、地形的に高く、緩やかな斜面である場所に四合院が並ぶ。そして、地形の低い地点を結ぶように通された街路や尾根に通された街路に街屋が並んだ。また、港に面した場所にも街屋が並び、商業地を形成していた。図(2)
 
写真(2)厦門の四合院の俯瞰・・・この四合院は「下王府」と呼ばれ、厦門でもきわめて大きな規模である。主屋群の間口は五間であり、大門の前には障壁もある。
 
写真(3)間口一間で二階建ての街屋・・・四合院とは対照的にコンパクトな街屋。二階には、ヴェランダが張り出す。
 
 厦門に現存する伝統的な住居は、一九二〇年代から三十年代にかけて行われた都市改造で登場した二〜四階建の騎楼の裏側にある。都市改造は商業街の更新でもあったから、騎楼の敷地にはもともと街屋が建っていたと考えられる。そんな背景があるため、厦門では現存する街屋はきわめて少ない。
 また、交易都市として賑わいをみせた厦門であるからこそ、資本のある人は住居に投資し、建て替えも頻繁に起きた。特に、清末から民国にかけて、外観に西洋風のデザインをあしらった建物が登場した。
 このように、住居は多様なヴァリエーションをみせる。ここでは、厦門の伝統的な住居を紹介し、その特徴をみよう。
 
図(1)北京の街区模式図・・・北京は格子状に割られた街区からなる。一般的な街区は奥行七〇メートル、幅六〇〇メートル前後である。この街区に整然と四合院、街屋が並ぶ。(陣内秀信ほか編『北京―都市空間を読む』鹿島出版会、一九九八年より引用)
 
図(2)地形の高い場所にある四合院・・・地形の起伏に富んだ厦門では四合院の多くが、高台に立地する。地形を読み取りながら、四合院を建設しているのである。







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