1988/05/27 朝日新聞朝刊
初任者研修に必要なこと(社説)
ある有名企業は、まだ肌寒い4月、神社のかたわらを流れる川にフンドシひとつで入る「みそぎ研修」を、新入社員に義務づけている。担当者は「こざかしい理屈を捨て、バカになって物事に挑む精神を植えつけるためだ」と説明しているそうだ。
一企業ならば、それはそれでいいだろう。しかし、学校の先生の場合は、「物事を考えないようにする」研修では困る。
新たに国公立の小、中、高校の先生になった人に1年間の研修を課す「初任者研修制度」の創設が、国会で認められた。来年の春、まず小学校教諭を対象に発足する。
この制度は文部省の宿願であり、臨時教育審議会の第2次答申の大きな柱でもあった。一方で日教組の福田委員長も、参考人として出席した参院文教委員会で「初任者研修の必要性は認める」と述べた。
問題は研修の狙いと中身だ。
すでに文部省は、50を超える都道府県・市で試行に入っている。教頭、先輩教員、退職教員ら「指導教員」によるマンツーマン方式などを核とする実施モデルが示された。
ところが、種々の調査からも、懸念される点がいろいろと浮かび上がっている。本格実施の前に、ぜひ再検討が必要だ。
たとえば、マンツーマンというやり方が適当かどうか。人間同士のことだ、新任教師と指導教員の折り合いが悪い場合もあるだろう。その学校の先輩教員みんなが、新しい先生の相談相手になる、という方法も考えられる。要は弾力的な運用である。
具体的な研修日数として、文部省は校内研修を年間70日、校外は35日程度と考えている。これにも、「適当だ」との意見の半面、「新任の先生が学級を受け持った場合などは、肝心の授業に大きな支障をきたす」といった声も、相半ばしてある。いまの教員定数では、新しい先生がいきなり担任になるのがふつうだ。そういう目で、十分な教員増もふくめて、見直してもらいたい。
試行段階では、文部省さし回しの船に新任教員を合宿させる洋上研修もおこなわれている。朝礼で掲揚される日の丸を注視し、同省幹部の日教組批判の講義を聴く、などの日程が織り込まれたコースもあった。日教組の鋳型にはまった教師は困ると考えるのだろうが、文部省好みの鋳型を押しつけるのでは、「みそぎ研修」と同じになってしまう。
校外研修では、もっと「一般の社会」との接点を増やすべきだ。具体的には、福祉施設などでのボランティア活動、さまざまな職場での実習といったことがらである。先生は教室という限られた世界では、並ぶ者のない権力者だ。それだけに、ともすると唯我独尊におちいる、との指摘がある。そうならないための校外研修であってもらいたい。
それぞれの地域で、関係する人たちがよく話し合って、弾力的で実情に適した研修を進めるべきだ。画一的な先生だけをつくり出すような研修は、廃したい。
文部省がこの制度にこだわってきた理由の1つに、先生の養成を大学にまかせず、自分の手で好みの教師をつくりたい、との点があったと思われる。しかし、先生という職業のために大学で専門の課程が用意されているのだ。研修の必要をさけぶ一方で、大学の充実が軽視されているのは、うなずけない。
もう1つ、先生の質の向上を唱えながら、学校教育にとってやはり大切な「1学級の子どもの数を減らすこと」に、文部省の熱意が欠けている点も、指摘しておきたい。受け持つ子どもの数が少なければ、それだけ先生の目が行き届くのは、当たり前の話なのだ。
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