2000/08/13 朝日新聞朝刊
どう育てる新世紀の人材 「教育改革国民会議」3分科会報告
戦後教育の抜本的な見直しを進めている森喜朗首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」(江崎玲於奈座長)の三つの分科会が七月、これまでの審議の報告をまとめた。五歳での小学校入学など数々の大胆な提言が盛り込まれた。学力低下や学級崩壊など、教育を取り巻く状況への対応だけでなく、二十一世紀に向けた人材づくりも視野に入れた取り組みに、関心が集まっている。国民会議は、今月末から全体会議に議論の場を移し、九月末には中間報告をまとめる。それを前に、各分科会で重ねられた議論を振り返り、今後の焦点を探った。
(政治部・駒木明義、社会部・村上宣雄)
(1)人間性 首相、奉仕義務化に意欲
「ぜひやりたいと考えている」。森喜朗首相は分科会報告が出そろった翌日、会議の主な委員と懇談した際、学校での奉仕活動の義務化に言及した。教育基本法の改正と並ぶ、政権の教育政策の柱にしたいという意欲を、委員たちは感じたという。しかし、大胆な提言だけに、今後の全体会議で議論を呼ぶことになりそうだ。
子どもたちと社会のかかわりを深める必要性は、多くの委員が感じている。ただし、それを義務化するとなると、委員の中にも「一律一斉に学校がやらせることで『奉仕』の意味合いが変わってしまう。過去に外国でも失敗例が多い」という意見がある。十八歳の全国民に一年間の奉仕活動を課すという提言に至っては、憲法で保障されている職業選択の自由とのかねあいもあり、どのような形で中間報告に盛り込まれるのかは今後の議論次第だ。
教育基本法については、第一分科会では私見を述べあったにとどまり、議論を煮詰めるところまでいかなかった。今後の全体会議での議論も時間が限られているため、国民会議としての統一見解は打ち出せないのではないかという見方が関係者の間に広がっている。
(2)学校教育 教員の評価制を提案
大都市圏を中心に、父母らの「公立校不信」は広がっている。経営をめぐる生存競争がないため、教員や学校が立場に安住し、悪い点をなかなか改めようとしない――。こうした見方をもつ保護者は少なくない。
処方せんの一つとして報告書は、学校が個々の教員を評価し、教員はその反省に立って改善に取り組む、という民間企業並みのシステムを導入することを提案した。評価が高い教員には特別手当を支給したり、人事上で優遇したりする。逆にいつまでも改善されない教員は、転職させたり、場合によっては免職したりすることもあり得る制度にすべきだとした。
教員免許を与えっ放しにせず、一定期間ごとに見直す更新制も「検討に値する」としている。「私学は一定要件を満たせば設置できるように基準を緩やかにする」「地域住民が直接運営に携わる新タイプの公立校をつくれないか検討する」といった意見も示された。
(3)創造性 横並び意識を見直し
今の教育は、小粒なエリートしか育てていない。日本をしょって立つ逸材を生むにはどうしたらいいか。これが議論された。
報告には、「どの子もみんな横並びで学ぶ」というこれまでの制度を否定する考えが貫かれている。まず提案したのは「小学校の五歳入学」。早く勉強を始めれば、そのぶん能力も早く開花する子が出てくるのではないか、というねらいがある。学校の授業も、教科によっては学年の違いを超え、勉強の進み具合に応じてクラス分けする「習熟度別学習」を盛り込んだ。
報告書は、こうした英才教育を大学段階でさらに加速することを求めた。際立って優秀な生徒のために、現在は原則十八歳以上となっている入学年齢の制限を、志望学部にかかわらず撤廃。大学と大学院の教育を再編し、大学院へは原則として学部三年修了の時点で進学する。修士、博士号の取得年限も短縮する。ただし、こうした案に対し、「競争意識をいたずらにあおり、早期教育をいっそう過熱させることにしかならないのではないか」という批判が文部省内にもある。
○第1分科会報告(骨子)
《父母へ》
・家庭での「心の庭」づくり運動
・家庭ごとの「しつけ3原則」づくり
《学校へ》
・共同生活による奉仕活動などの義務化(小中で年二週間、高校で年一カ月。将来は満十八歳の全国民に一年間の奉仕期間)
・小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高校に「人生科」を設ける
・父母への尊敬、家族への愛を教える
・古典、歴史の重視
・言葉の教育の重視
・問題を起こす子どもへの対応をあいまいにせず、他の子どもたちの教育を守る措置をとる
《社会へ》
・マスコミなどの協力を得た国民運動の推進
《教育基本法》
分科会としては、改正が必要であるという意見が大勢を占めた
○第2分科会報告(骨子)
《学校のバージョンアップ》
・教員の評価とフィードバックで授業の改善を促す
・優秀な教員に報いるため、手当、人事、表彰などで処遇する
・改善されない教員については、学校内での役割変更、転職、免職などの処遇をとる
・教員免許の更新制の検討
・学校の自己評価、第三者評価制度の導入
・予算使途や人事について校長の裁量権を拡大
・学級人数は全国一律に定めず、校長の弾力的な編成を可能とする
・IT、英語を楽しく学ぶ機会を早くから作る
《新しいタイプの学校の提案》
・意欲と能力がある有志が提案し、地域がモニターと評価を分担する公立学校「コミュニティースクール」の可能性の検討
○第3分科会報告(骨子)
《独創的、創造的な活動ができる人材の育成》
・習熟度別少人数学習の推進
・保護者の選択と学校の判断で小学校の五歳入学
・中高一貫校を全体の半数に増やす
・高校での学習達成度試験の導入。共通テストを達成度テストに切り替える
・大学入学の年齢制限撤廃
・大学の九月入学の推進
・大学入学一年後に正式に合否を判断する暫定入学制度の導入
《社会の各分野でリーダーとなる人材の育成》
・大学三年からの大学院進学の一般化
・大学院を研究者養成型と職業人養成型に再編
・修士を最短一年、博士を最短三年で取得させる
・国家公務員や教員の採用で修士取得を要件とする
《職業観、勤労観を備えた人材の育成》
・職場体験、職場見学などの体験学習を推進
●奉仕通し義務観変える 第1分科会主査・お茶の水女子大名誉教授 森隆夫氏
■自発的であるべき奉仕活動を義務化することを疑問視する声もあります。
「制度だけでなく、人間の理念、考え方を変えなくては改革はできない。国家が国民に課する従来の義務ではなく、自分が自分に課するという新しい義務観をはぐくめないかと思っている。『いやだ』という人もいるかも知れないが、企業としてはそういう人は採用しないという意見もあった。奉仕活動をしない人は大学に入れないという制度があっても良い」
■無理やりやらせても効果が上がらないのでは。
「それでも構わない。それが教育の不思議なところで、例えば、いやいや行った学校でも、後になってみれば良い思い出になる。現在の満足よりも将来の満足の方が大事だ」
■どういう効果を期待していますか。
「奉仕活動を実施に移すとき、大人が参加しないでできるわけがない。そうすると大人も目覚める。奉仕活動という太い幹を中心に、枝葉が出てくることになる。人生最初の教師としての大人が今、幼児化しているから、子どもの劣化が止まらない。この是正なくして問題は解決しない」
「私は、団地に床の間を作れと言っている。家庭に聖域がなくなったから、上下関係がなくなってしまった。上座に座る人は『自分はここに座る資格があるだろうか』と自問することで、自分を高めていく。同様に、教壇を無くしてしまったのは戦後民主主義の大失敗だったと思う」
■最近の若者に優れた点はないのでしょうか。
「一方的な自己主張は上手になった。我々のころは忍耐、忍耐だった。大人の幼児化の原因は依存心だ。利益や恵みを受けたら、それを社会に還元するような心の循環型社会を作りたい。自己犠牲が自己実現と一致するという人間が理想像だと思う」
■教育基本法についても見直しが大勢でした。
「あそこに書かれているのは理想像で、山で言えばエベレストの最高峰だ。しかし、日本人にとってのベースキャンプにあたる国、郷土、家庭ということが抜けている。法改正されるかどうかは、政治、首相の判断の問題だ。決意があるかどうかだ」
●裏付けない、飲み屋談議 東大大学院教授・佐藤学氏
■これまでの議論をどう受け止めますか。
「議事録を読む限り、暗たんたる気持ちにならざるを得ない。調査データなどに基づく客観的な教育の実情を根拠に話をしているのではなく、委員が主観的憶測、独断をもとに話をしている。提案も思いつきのら列だ。部分的には賛同できる内容もあるのだが、モノローグの連続で、どういう根拠を持っているかがいっさい議論されていない。あえて過激に言うと、飲み屋談議の水準だ。諸外国の委員会の報告書では、必ず裏付けとなるデータや、基調となる原理が提示されている。今回の報告書は、国際的にも恥ずかしくて出せないレベルだと言わざるを得ないし、こういう改革議論が二十一世紀の教育を決めると思うと恐怖さえ感じる」
「独善性と思いつきが一番顕著なのが第一分科会だ。例えば、教育の荒廃の原因を『物質的豊かさと半世紀以上も続いた平和』に求めている。実際には少年犯罪は、一九五〇年代、六〇年代に非常に多く起きていた。確かに最近の教育の荒廃は中産階級の家庭を中心に起きているなど、新しい質を帯びている。しかし、戦争状態で貧しい状態であれば今の荒廃が起きなかったというのは、あまりに奇妙きてれつな論理だ」
■奉仕活動の義務化も盛り込んでいます。
「徴兵制まがいの強制労働で問題を解決できると考えるのは乱暴な結論だ。戦時中に報国を掲げて、奉仕活動の義務化を行ったが、その現場でいじめや暴力がまん延したことは、ある世代以上の人であればだれでも知っている。この提案には、子どもたちが何を願っているかという想像力が感じられない。委員の方には、範を示して共同生活で奉仕活動を一年続けた上で提案していただきたい」
■子どもたちの社会性の欠如に、不安感が広がっていることは事実です。
「子どもたちが自分中心の世界に閉じこもってしまって他者への想像が及ばないというのはその通りだと思う。しかしそれを奉仕活動の義務化で解決できるという発想は単純すぎる。今、中高生のボランティア活動への参加が広がっている。地域を基盤とした様々な取り組みと学校をつなぎ合わせる動きを支援していけばいいだけの話だ。米国には、平日の午後に学生がボランティア活動ができる時間を設けている例がある。ドイツでもさまざまなボランティアのメニューが用意されている。そういう条件を準備すれば良いと思うが、強制的な奉仕活動は、復古的な全体主義以外の何ものでもない」
■今後の議論に何を期待しますか。
「専門家に意見を聞くとか、文部省の調査結果を利用するとか、委員自身が実態を調査するなどした上で、実情を踏まえた議論をしていただきたい。各国が何をどのように克服しようとしているのかも踏まえないと、独善的な改革になってしまうのではないかと懸念している」
◇戦後教育のあゆみ
(年) |
(月) |
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1945. |
8 |
ポツダム宣言受諾、終戦 |
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12 |
占領軍が、修身、歴史、地理の教科を停止 |
46. |
1 |
天皇の人間宣言 |
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10 |
文部省、男女共学実施を指示 |
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11 |
憲法公布 |
47. |
3 |
教育基本法、学校教育法公布 文部省、学習指導要領一般編(試案)発行。社会科、家庭科の新設(小) |
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4 |
新学制による小中学校(6・3制)が開始 |
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6 |
日教組結成大会 |
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8 |
文部省、「あたらしい憲法のはなし」発行 |
48. |
6 |
衆参両院で、教育勅語の排除、失効確認を決議 |
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7 |
旧教育委員会法公布。教育委員の公選制を定める |
51. |
7 |
学習指導要領改定。道徳教育の充実 |
53. |
1 |
中央教育審議会(中教審)設置 |
55. |
4 |
中学の社会科を地理・歴史・一般社会に解体 |
56. |
6 |
地方教育行政法公布。教育委員を任命制に改める |
57. |
8 |
文部省、勤務評定実施を通達 |
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12 |
日教組、勤務評定反対闘争強化を決議 |
58. |
10 |
学習指導要領(小、中)改定。従来の参考文書から教育課程の国家基準に性格を変える。「道徳の時間」の新設、国語、算数、数学の時間数増 |
65. |
6 |
家永三郎氏、教科書検定を違憲として国家賠償請求訴訟を提訴(第1次家永訴訟) |
67. |
6 |
家永氏、文部省に教科書検定不合格処分の取り消しを求める行政訴訟を提訴(第2次訴訟) |
68. |
7 |
学習指導要領(小)改定。歴史教育に神話を、算数に集合を導入 |
69. |
1 |
東大安田講堂の封鎖解除 東大入試の中止を決定 |
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4 |
学習指導要領(中)改定。能力別指導を打ち出す |
71. |
6 |
中教審、明治維新、戦後の教育改革に次ぐ「第3の教育改革」を提言。4・4・6制の試行を打ち出す |
75. |
12 |
学校教育法施行規則一部改正。主任制度を省令化 |
77. |
7 |
学習指導要領(小、中)改定。「ゆとりの時間」の導入。「君が代」を国歌と明記 |
78. |
12 |
東京都中野区で、教育委員準公選条例可決 |
79. |
1 |
国公立大学共通1次学力試験初実施 |
80. |
5 |
義務教育標準法改正。小中で91年度までに40人学級を実現へ |
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11 |
校内暴力続発のため、文部省が「児童生徒の非行防止について」通達 |
81. |
6 |
中教審、「生涯教育について」答申 |
82. |
7 |
教科書検定に対して中国、韓国政府が相次いで抗議。外交問題に |
83. |
6 |
文部省、荒れる教室の実態調査 |
84. |
1 |
家永氏、教科書検定処分を不服として国家賠償請求訴訟を提訴(第3次訴訟) |
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8 |
臨時教育審議会(臨教審)発足、9月に初総会 |
85. |
6 |
臨教審第1次答申。共通一次改革、6年制中学、単位制高校など提言 |
86. |
2 |
東京都中野区立富士見中生徒がいじめを苦に自殺 |
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4 |
臨教審第2次答申。初任者研修制度などを提言 |
87. |
4 |
臨教審第3次答申。民間活力の導入など教育の規制緩和を提言 |
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8 |
臨教審第4次答申(最終)。大学の秋季入学拡大など提言 |
89. |
3 |
学習指導要領(小、中、高)改定。生活科の新設。入学式、卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱の義務化 |
90. |
1 |
大学入試センター試験初実施 中教審、「生涯学習の基盤整備について」答申 |
91. |
4 |
中教審、「新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について」答申。総合学科設置など高校教育改革を提言。 |
92. |
9 |
幼小中高校で、月1回の学校週5日制実施 |
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11 |
鳩山邦夫文相、業者テスト批判 |
94. |
5 |
「児童の権利に関する条約」発効 |
95. |
4 |
幼小中高校で、月2回の学校週5日制実施 |
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9 |
日教組、定期大会で「教育界の対立解消」を掲げた運動方針を決定。 文部省との協調路線に踏み出す |
96. |
7 |
中教審、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」第1次答申。 「ゆとり」の中で「生きる力」をはぐくむことを提言 |
97. |
1 |
文部省、「教育改革プ口グラム」策定。完全学校週5日を2003年度から実施へ |
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5 |
神戸市須磨区で小6生の切断された遺体が見つかる。6月に中3の少年を逮捕 |
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6 |
中教審、「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」第2次答申。 大学、高校入試の多様化、中高一貫教育の導入など提言 |
98. |
1 |
栃木県黒磯市で中学生徒がナイフで女性教諭を刺殺 |
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6 |
中教審、「幼児期からの心の教育のあり方について」答申 |
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12 |
文部省が小中の学習指導要領を改定。教育内容の大幅絞り込み、「総合的な学習の時間」導入 |
99. |
8 |
国旗・国歌法成立 |
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12 |
中教審、「初等中等教育と高等教育との接続について」答申 |
2000. |
3 |
教育改革国民会議発足 |
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