1985/09/19 朝日新聞朝刊
防衛力整備計画戦後小史
第1次防衛力整備計画
(昭和32年6月14日閣議了解)
33年度から35年度まで3カ年計画。陸上自衛隊は18万人、海上自衛隊は艦艇12万4000トン、航空自衛隊は航空機約1300機の整備が目標。経費については「財政状況を勘案し」とされ、額は明示されていない。35年度末の実績はそれぞれ陸17万人、海11万2000トン、空約1100機。
第2次防衛力整備計画
(36年7月18日閣議決定)
37年度から41年度までの5カ年計画。陸の自衛官18万人、海の艦艇14万トン、空の航空機約1000機を整備するほか、地対空ミサイル部隊の新設、1カ月分の弾薬備蓄が目標。経費は36年度の1803億円をもとに毎年度195億−215億円の増を見込んだ。
第3次防衛力整備計画
(41年11月29日に計画大綱、42年3月14日に計画の主要項目をそれぞれ閣議決定)
42年度から46年度の5カ年計画。地対空ミサイルのナイキ、ホーク部隊の新編、ミサイル護衛艦や潜水艦など艦艇56隻(4万8000トン)の建造、新戦闘機の導入(F4)など。経費総額は2兆3400億円をめどに上下に250億円の幅を見込んだ。
第4次防衛力整備計画
(47年2月8日に大綱、10月9日に主要項目を閣議決定)
47年度から51年度の5カ年計画。沖縄返還に伴う部隊の設置やナイキ、ホーク部隊の増設、支援戦闘機(F1)の導入、艦艇54隻(6万9600トン)の建造など。総経費は約4兆6300億円を見込んだ。閣議決定が遅れたため、47年度予算案が4次防の先取りだとして国会で問題となった。
防衛計画の大綱
(51年10月29日閣議決定)
第1次−第4次防が脅威対応型で、どこまで軍備拡大が進むか、はっきりしなかったことへの反省から、「限定的かつ小規模の侵略」に独力で対処できる程度の基盤的防衛力の目標を示した。当時は保有防衛力がこの目標とほぼ同水準にあると判断されたこともあって、計画期間や経費は示されなかったが、1週間後の11月5日、各年度の防衛費について「当面、国民総生産(GNP)の1%を超えないことをめどとする」との閣議決定がなされた。
53中期業務見積もり
(54年7月17日防衛庁長官承認)
55年度から59年度の5カ年計画。政府計画だった4次防などと異なり、防衛計画の大綱をもとにした防衛庁の内部資料で、概算要求時の参考にすぎないと位置づけられた。主要装備では防空警戒管制(バッジ)システムの更新、北海道での機甲師団の新設、F15戦闘機やP3C対潜哨戒機の本格導入が盛り込まれた。経費は明示しなかったが、正面装備だけで2兆7000−8000億円が見込まれた。
56中期業務見積もり
(57年7月23日国防会議了承)
58年度から62年度の5カ年計画。日米首脳会談で米側が中業に言及したこともあって、56中業から国防会議に報告されることになった。主要装備では海、空重視の方針からF15、P3Cの大量調達、ナイキ、ホークの後継ミサイルの導入など。経費は正面装備費が4兆4000−6000億円、これに後方、人件費を加えた期間中の防衛費は15兆6000−16兆4000億円とされた。これは同期間中のGNP見通しの0.97−1.02%にあたり、1%枠突破への布石と見られた。
59中期業務見積もり
59年5月8日、栗原防衛庁長官が作成を指示。今年5月までに防衛庁原案はまとまったが、GNP1%枠問題と絡んで政府計画への格上げが決まり、大蔵省との間でこの防衛庁原案をもとに政府計画づくりが進められてきた。
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