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船の科学館 資料ガイド4 黒船来航

 事業名 海事科学知識の普及啓蒙活動
 団体名 日本海事科学振興財団 注目度注目度5


ペリー艦隊の実像に迫る
 
 
1 アメリカ海軍の蒸気艦建造の歩み
 アメリカ海軍は“ミシシッピ”、“サスケハナ”を建造するまでに、蒸気艦の建造に関してどのような道を歩んで来たのでしようか。ここでその歩みを振り返ってみることにします。
 アメリカ海軍は、1815年(文化12)に世界最初の蒸気軍艦(ぐんかん)“デモロゴス”(2,475bmトン)を建造しました。設計したのは、ロバート・フルトンですが、彼は1807年(文化4)に世界で初めて商用運航に成功した蒸気船“クラーモント”(80排水(はいすい)トン)の設計でも有名でした。“デモロゴス”は1812年(文化9)から始まったイギリスとの戦争で、イギリス海軍による港湾封鎖(こうわんふうさ)を突破する目的で作られました。しかしでき上がった頃には戦争が終わったので、一度も実戦に使用されることがなくブルックリン海軍工廠(こうしょう)に係留されていましたが、1829年(文政12)6月に火薬庫の爆発で使用不能になったので解体されました。フルトンは“デモロゴス”の完成前に亡くなりましたが、彼の名を記念して完成時に艦名は“フルトン”に変更されました。
 その後しばらく蒸気艦の建造は途絶えていましたが、1837年(天保8)になってやっと“フルトン”II(1,011排水トン)が建造されました。“フルトン”IIは沿岸警備用の軍艦ですが、図に示すように少し変わった外形をしていました。この艦の艦長になったのが後のペリー提督です。彼は蒸気艦の建造に熱心で、“フルトン”IIをワシントンまで回航し大統領や有力な政治家に見せて蒸気艦のPRに務めました。その努力が実って1839年(天保10)に新たに2隻の大型蒸気軍艦の建造が認められました。これが“ミシシッピ”と“ミズーリ”です。彼は“ミシシッピ”の工事監督も務めました。このようにペリーは蒸気軍艦の建造を熱心に推進したので、後にアメリカで「蒸気軍艦の父」と呼ばれるようになりました。
 “ミシシッピ”と“ミズーリ”は排水量が共に3,220トンで、“ミシシッピ”が1841年(天保12)12月、“ミズーリ”が1842年(天保13)2月に完成しました。この2隻はアメリカ海軍で最初の本格的な航洋蒸気艦でした。しかし“ミズーリ”は処女航海で地中海入口にあるジブラルタル港に停泊中に乗組員の不注意で火災が発生し焼失しました。床にこぼれた油に乗組員が手にしていたランプの火が燃え移ったのが原因と言われています。
 その後1840年代には“ミシガン”(604排水トン)、“プリンストン”(1,046排水トン)、“ユニオン”(956排水トン)、“ウォーターウィッチ”(190排水トン)、“アレゲニー”(1,020排水トン)が建造されました。
 “ミシガン”は1843年(天保14)に完成した鉄製の外車蒸気艦ですが、五大湖の警備用に建造された艦です。“プリンストン”は1843年(天保14)の完成ですが、有名な発明家エリクソンが設計した世界で最初のスクリュー艦でした。完成後ワシントンで大統領を初め、多数の来賓(らいひん)を招いて公開試運転を行いました。試運転が無事終了した後、新設計の12インチ砲の発射を披露(ひろう)しましたが、砲身が破裂して国務長官、海軍長官ほか多数が死傷するという大事故になりました。この大砲はエリクソンの設計ではなかったのですが、海軍当局はエリクソンを免職(めんしょく)にしました。しかし彼は南北戦争で再び登場し、1862年(文久2)に完成した装甲艦(そうこうかん)“モニター”(987排水トン)を設計しました。装甲艦とは水面から上の船体部分を厚い鉄板で覆った軍艦です。“プリンストン”は故障が多く、1849年(嘉永2)に廃艦(はいかん)になりました。
 “ユニオン”、“ウォーターウィッチ”、“アレゲニー”はいずれもアメリカ海軍士官ハンターの発明した水平車式という少し変わった推進装置が採用されました。水平車式とは通常の外車を水平にして、これを船体の左右方向に設けたトンネル内に設置する推進方式です。今日から見れば到底(とうてい)使いものにならないと思われますが、アメリカ海軍はどういうわけかこの方式に長年固執(こしつ)しました。しかしいろいろ改良を重ねてもスクリュープロペラに比べ速力がかなり劣ることが判って、やっとこの方式を諦め(あきらめ)ました。航洋艦の“アレゲニー”はスクリュー艦に改造されましたが、前述のようにペリー艦隊の日本遠征には間に合いませんでした。
 
1854年10月7日、日本からの帰途、太平洋上で台風に遭遇し荒天航海する“ミシシッピ”
 
蒸気船“フルトン”II
 
 1846年(弘化3)5月に始まったアメリカとメキシコとの戦争で蒸気艦の性能が評価されて、アメリカ議会は1847年(弘化4)に4隻の蒸気艦の建造を承認しました。この時建造された4隻の内訳は“サスケハナ”(3,824排水トン、外車、1850年完成)、“ポーハタン”(3,865排水トン、外車、1852年完成)、“サラナック”(2,200排水トン、外車、1850年完成)、サン・ジャシント(2,200排水トン、スクリュー、1851年完成)です。“サン・ジャシント”は蒸気機関の故障が多く1854年(嘉永7)に別の蒸気機関に換装(かんそう)されました。この艦もペリー艦隊に参加する予定でしたが、結局不可能になりました。
 これら4隻の蒸気艦の建造と併行して1840年代の失敗作であった“プリンストン”と“ウォーターウィッチ”の改定版ともいえる“プリンストン”II(1,385排水トン、スクリュー式、1852年完成)、“ウォーターウィッチ”II(450排水トン、外車、1852年完成)が建造されました。“プリンストン”IIもペリー艦隊に参加する予定でしたが、新型ボイラの故障のため結局参加できませんでした。
 このようにペリーが日本遠征艦隊を編成する時点で、遠洋航海が可能な蒸気艦は“ミシシッピ”、“サスケハナ”、“ポーハタン”、“サラナック”の4隻のみであったと思われます。ペリーはこのうち第1次航で2隻、第2次航で3隻を率いて来日したので、日本遠征はアメリカ海軍の総力を挙げた(あげた)プロジェクトであったと言えるでしょう。
 1840年代のアメリカ海軍は“ミシシッピ”のようなオーソドックスな設計より、一風変わった設計に肩入れする風潮があったと思われます。このため失敗作が多く、技術の進歩も停滞したのでしょう。この事実をペリーは「日本遠征日記」の中で次のように述べています。
 「蒸気艦を持つ世界中のあらゆる国、あらゆる民間蒸気船会社は航洋蒸気船の改良という点については、あらゆる分野で我が海軍より進んでいるのが真実である。その事を残念ながら告白せざるを得ない。この艦(注:“ミシシッピ”)と“ミズーリ”はわが海軍に導入された最初の航洋蒸気艦であるが、一時は世界における最初の本格的な蒸気艦とまで断言された。その後我々は軍艦建造技術において進歩したというよりむしろ後退して来た」
 この文から40年代の初めには世界の最先端を走っていたのにその後、技術開発の方向が横道にそれたので世界の第一線から遅れを取った状況を残念に思う気持ちがにじみ出ています。なお1850年代の後半になるとオーソドックスな設計の蒸気軍艦の建造が加速され、1850年代の末には蒸気軍艦の整備が急速に進展しました。この結果アメリカ海軍はイギリス、フランスに次いだ海軍力を誇るようになりました。
 次にペリー艦隊の各艦について概要を説明することにしましょう。
 
南北戦争後、ニューヨークの海軍工廠に停泊する“サスケハナ”の写真







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更新日: 2019年12月7日

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