1995/09/23 朝日新聞朝刊
苦悩の縮図 環境計画(再生への岐路 国連創設から50年:4)
交差点で停車するたびに物売りや物乞い(ものごい)の幼い手が運転席に差し出されるナイロビ市内のごみごみした道路を抜け、森の中を十キロほど走ると「別世界」があった。
○地球サミット成功
国連の事務所が集中するギギリ地区。広大な敷地の一角に、国連環境計画(UNEP)と、国連人間居住委員会(HABITAT)のオフィスがある。主要な国連機関のなかで、途上国に本部をおくのはこの二つだけだ。ともに途上国重視の機運が高まった一九七〇年代に設立された。
UNEPは国境を超える汚染や自然破壊を予防し、環境保護の国際協力をつくり出すことを目的としている。オゾン層の保護、砂漠化の防止、熱帯林保護、有害廃棄物の越境移動など、地球規模の環境問題に対する国際活動を調整し、報告書をつくる助言などに力を入れてきた。
九二年六月にブラジルのリオデジャネイロで開かれた地球サミット(環境と開発に関する国連会議)は、UNEPの大きな成果のひとつに数えられている。サミットでは、環境と開発の調和をめざす行動計画「アジェンダ21」が採択された。
そんな「環境保護のエース」がいま、存立の意味すら問われる事態にまで追い込まれている。
○批判の矢おもてに
「UNEPの役割はもう終わった」「組織として必要ないのではないか」という声が、国連関係者の間からも公然と聞かれるようになった。もともと事業を実施する現業機関ではなく、調整というソフト面を担当する組織だけに、八〇年代後半からUNEP以外の国連機関などが独自に環境対策プロジェクトを実施し始めるようになると、UNEPの存在感が薄れるのは避けようがなくなった。
とりわけ途上国の開発と環境保護との関係が重視されるようになったことで、UNEPは国連開発計画(UNDP)に吸収合併されてもよいのではないか、との指摘が声高に叫ばれるようになってきた。UNDPは途上国への技術援助や資源の活用、開発投融資の調査などを通じ、多くの途上国で活動を行っている。
地球サミットの後、「アジェンダ21」の実施状況を監視する事務局として「持続的な開発委員会」がニューヨークに設置されたことも、国際的な環境開発行政に屋上屋を重ねる印象を強めた。
二年に一度の割合で開かれるUNEP管理理事会が最近ナイロビの本部で開かれた時、ダウズウェル事務局長はあいさつのなかで、「世界はサミット疲れと援助不足に悩んでいる」という表現で、UNEPの抱える苦悩を表現した。
ダウズウェル事務局長には、国連機関全体の問題として考えなければならない「非効率性」や「行政改革」に対する批判の矢おもてに、UNEPだけが立たされているように映る。事務局長は、世界中に「マルチラテラリズム(多国間の共同政策)見直し」の風潮がはびこっていると警鐘を鳴らし、各国政府の拠出でまかなわれる財政の安定的な確保、そのうえでのUNEPの独自性の確立と有効活用の方策を探っていきたい、という意欲を示した。
だがUNEPが抱える本当の苦悩は、「その内部にこそ元凶をはらんでいるのではないか」(アフリカ駐在の国連関係者)という指摘もある。
○開発援助に失望感
アフリカやアジアの発展途上国は、UNEPを環境保護機関というより、実は「開発の救世主」と見て熱い視線を注いできた。国家建設を進めたい国々にとって、のどから手が出るほど欲しいのは開発援助にほかならない。例えば中国は、UNEPが環境保護の技術をただで移転してくれることを期待していたが、そうしてくれなかったことに失望した。
「UNEPの苦悩」は、そうした期待や思惑の食い違いをなお乗り越えられない、国際機関全体が抱える苦悩の縮図でもある。
(ナイロビ=川崎剛)
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