人が人を完全に理解することなど有り得ない、ということを前提に高橋君について考える。
彼は酒は飲めないが、一歩踏み込んでつき合うと大いに饒舌になる。
その饒舌のなかから自己発見の糸口を、音楽創造の糸口を一つでもつかみとろうと努力する。
そのような積み重ねが今日の高橋君の一端を形成していることはまちがいない。当然、一人思索に耽ることも有り得るだろうが、そのような姿を他人にみせるはずもないのでそのことは別に置く。
大学時代の彼は、氾濫する前衛とか実験とかいう音楽の洪水のなかで、そのようなもののコピーを一生懸命やっていたのを知っている。
卒業してから私のところに出入りするようになった。
当時は、一見すると今にも音が溢れでるようで、彼の口調同様音符もまた五線の上で饒舌であったが、そこからは音楽が聴こえにくいという習作時代が続いた。そんななか一つ一つと自分の音を作り上げ、日本音楽コンクール入選、入賞という二度の結果を生み出した。
真撃に音を刻みながら着実に前進し、本日また新たな作品を造り出した。
今後も一歩一歩確実な足取りで作曲家の道を歩まれることを心より願っている次第である。