日本財団 図書館


それから、漁港に行ったら、ぜひ漁港の中に行ってみましょう。ここにはちょっとないですが、例えば定置網を一生懸命干しているおじさんがいる。そうしたら、聞いてみましょう。「おじさん、何が取れるの?」と。そういうふうにすると、今度は漁船には興味がないけれども、取れる魚に興味があるという人もたくさんいるのでおもしろいはずです。このように実際に現地に行ってみると、いろいろなことがわかると思います。

写真37は相模川の河口を西向きに撮影したものです。川と海との接点です。ここは昔、昭和52年まで、河口左岸側に見える護岸の前まで砂浜があったのですが、砂浜がなくなってしまいました。河口砂州の後ろには非常に良好な干潟があったのですがつぶれてしまいました。ほとんど消えてしまいました。なぜでしょうか。これは人のなせるわざなのです。かくほど問題が錯綜している河口はありません。相模川でも大水が来ると、洪水が流れる。そうすると、洪水防止の仕事をしている人は、洪水が流れることが第一義に重要だと主張します。

写真37の河道内右岸に須賀漁港という小さな漁港があります。ここには船がたくさん入っています。遊漁船といって、釣り人を乗せる船があります。漁港を出て、狭い河口で船が何回も転覆をして人が死んだのです。そうすると、須賀漁港の利用者・管理者は船が出られるようにしてもらいたいと言う。これが最大の願いだということで、相模川河口では砂州の外に漁港を造ることにしました。ところが、砂がたまってたまってしょうがないので、現在でもまだ使いものになっていません。たまった砂は、どこから来たかと言いますと、隣の砂州周辺の砂がなだれ込んでいます。すると河口左側の最下流点付近から侵食が起こる。一生懸命砂を取る。日本人は非常に几帳面ですから、相手がどうのというよりも、与えられた仕事をきちんとやります。玉砕主義です。いや、まじめに。先生方もそうかもしれないですね。カリキュラムのとおりぴしっとやる。で、やった結果、手前側の砂浜はなくなる。そうすると、それに対して砂浜の維持管理を行っている人は、何か対策が必要と考えます。砂州は川を塞いでいるのですが、導流堤間を通っていた漁船を守る人は、砂を取らせてくれと言います。相模川では砂を取って、どうしたと思いますか。沖に持って行って捨てたんです。ですから、国土から砂が消えていった。どんどんなくなってしまった。ですけれども、人はそれぞれ立場に分かれていますが、全体を見られる人がいない。このため日本の国土管理の典型ですが、至るところでそういうことが行われてきました。だから、もっと高い視野から見られる人がいなければだめなのです。そこがうまくいってないという典型です。かくして、この川だけではなくて、いろいろなところで、同種の問題が起こっています。

写真38は新しい漁港の上空から西向きに撮影したものです。前方の大磯港と新漁港の間の砂浜がポケットビーチ化していることがわかります。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION